現代の「自由」が隠された奴隷制である理由を探る
私たちが抱く「自由」と「契約」の概念。
日々、会社と契約を交わし働く私たちは本当に自由なのでしょうか? 時には自身を追い詰める労働環境や見過ごされがちな搾取。
その数々の疑問に対して、植村邦彦が提唱する「隠された奴隷制」の考え方は私たちに新たな視点を与えてくれます。
彼の著作「自由」に働く私たちは、なぜ「奴隷」にすぎないのか? は、表向きは自由な社会の影に潜む構造的な問題を明らかにし、私たちがどのようにして本当の自由を手に入れられるかを考えさせてくれる一冊です。
本記事では、この書籍を通じて植村邦彦の視点を探り、奴隷制の概念を深掘りしていきます。
啓蒙思想と奴隷制の原点
啓蒙思想期における優れた思想家たちには、私たちが現代考える「自由」と「奴隷制」の概念に深く関わる議論を展開しました。
本書の第一章では、ジョン・ロックやモンテスキュー、ルソー、ヴォルテールといった哲学者たちの視点から奴隷制に対する批評が述べられています。
ロックは植民地経営の文脈で新しい奴隷制の形式を構築していく中で、どのようにして自由意志がさらされるのかを示しました。
モンテスキューに関しては、黒人奴隷制を正当化するための根拠としての役割を果たしつつも、彼自身の内面的矛盾を彼の作品から読み解くことができます。
ルソーとヴォルテールの批判は、無関心や偽善性を取り除き、純粋な自由の追求を訴えることで、もっとも価値のある議論を展開しました。
これらの思想家たちが提起した問題は、現在でも有効であり、資本主義社会における「隠された奴隷制」にも直結しています。
アダム・スミスの視点に見る奴隷労働の経済学
多くの人にとって「国富論」で知られるアダム・スミス。
この章では、彼の経済学が奴隷労働にどのように関与していたのかを、奴隷貿易の自由化の背景に位置づけています。
スミスが主張した自由貿易の理論と、ヴォルテールが提起した倫理的観点のぶつかり合いは、奴隷労働の経済的効率性と人道的な問題に対する批判的考察を生み出しました。
自由な労働者でありながら低賃金労働を強いられる現代の労働者は、「労働貧民」として奴隷制の後継者ともいえます。
この状況は、経済の効率性を優先するアダム・スミスの観点からも、理論的には解決を見つけることができない二重の問題を抱えることを示しています。
ヘーゲルが見た奴隷制と正義
続いてヘーゲルの哲学における「奴隷と主人の関係」についてです。
ヘーゲルが持つハイチの視点は、奴隷制の終焉に対する新たな期待と、それに続く幻滅の歴史を描き出しました。
自己解放の絶対的権利について採り上げることで、当時の社会契約説において奴隷制がどのように隠され続けたのかを解き明かしていきます。
このヘーゲルの視点は、現代における労働者階級と貧困との関係においても同様であり、自由意志が表向きの社会体制の下でどのように制約を受けるのかを考えさせられます。
この哲学的観点からは、正義の欠如した社会体制がいかにして隠された奴隷制を生むのかを明確に指摘しています。
マルクスが捉えた隠された奴隷制とその現代的意味合い
マルクスの「資本論」における「隠された奴隷制」というキーワードは、資本主義の下での労働者の地位を分析する重要な鍵となります。
マルクスは、直接的な奴隷制こそなくなったものの、間接的な奴隷制度が資本主義によって形を変えたまま存在し続けることを指摘しました。
特に強制労働と自由意志が対立する中で、「自由な自己決定」が単なる幻想に過ぎないことがしばしばあります。
つまり、実際には資本に従属する形となっている労働者が、見せかけの自由を享受しているかのように見せられます。
こうした構造的問題を解き明かすことは、現代社会をより深く理解する手助けとなります。
現代における新自由主義のベール
第5章では、新自由主義という現在の政治経済思想におけるベールを取り去ります。
新自由主義がもたらした「自立」「自己責任」という概念を通じて、システムは以前より巧妙な形で労働者を縛ります。
これにより、個人は「人的資本」としての自己啓発を強いられ、しばしば過労やストレスに見舞われる状況が生まれています。
この章で取り上げられているのは、「強制された自発性」がどのようにして労働者を新たな奴隷制の形に追い込んでいるのかです。
一見、自由に選択をしているように見えて、その選択が資本主義の論理に組み込まれていないか。
これを自問することで、私たちはもっと多様な選択肢を探ることができます。
奴隷制からの解放に向けての道筋
最後の章では、本書を通した論点が結実し、私たちがいかにして隠された奴隷制から脱却し、自らを解放できるのかに焦点を当てています。
ポメランツやスコットによる歴史的、社会的アプローチに基づいた分析は、構造的な歪みを取り除き、より良い社会を模索する方向性を示しています。
また、グレーバーが提起する負債と奴隷制の関係性は、資本主義の終焉を見据えたとき、私たちはどのようにこの枠組みを超えていくのかを考えさせてくれます。
本書を通し得た知識と理解は、奴隷制に囚われない新たな未来を構想するための重要な基盤となるでしょう。
「自由」に働く私たちは、なぜ「奴隷」にすぎないのか? を通して植村邦彦が描き出したその洞察は、現代を生きる私たちにとって重要な示唆を与えます。
真の自由を追求するために、この学びを活かしていきましょう。